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そばにいるね
体の時間
地球は狭くなり、人間の行動範囲は大きくなった。むかし遠くにあってなかなか実際に行くことのできなかった所にも行けるようになり、ふるさとを思う詩や歌も過去{かこ}のものとなった。かぐや姫の去っていった月の世界にも、行こうと思えば行けないことはない時代である。しかし、実際には遠くにあるものも近くに体験することには、体にも心にも無理があるのではなかろうか。
最近、ある動物生理学の学者の話を読んで感心した。人間の心臓は大体一秒間に1回打つが、ネズミは0.1秒に1回打ち、ゾウは1回打つのに3秒もかかる。しかし、一生の鼓動(こどう)の数はみな15億回。動物が一生の間に使うエネルギーも決めっていて、小さいネズミは一生を駆け抜けて行くし、ゾウはゆっくりのんびり生きる。
人間にも体の時間があるのだが、現代人はそれをコンピューターや高速鉄道などを使ってどんどん速くするため、体の時間と社会の時間とのギャップからストレスが生じる。都会人の生き方は異常である。定員の三倍の満員電車の人口密度は大変なもので、これほどの密度でいるのは蚊の大きさの動物だけである。その満員電車で郊外から都心まで通勤するのは、虫(むし)かごに詰(つ)め込まれて、ゾウのような広い移動範囲を移動することになる、というのである。
確かに、人間も体の時間で生きるほうがいい。そう思っても、現実には、ストレスの生(しょう)じるコンピューターや高速鉄道を使わざるを得ない。せいぜいできることは、自分が無理をしていることを悟(さと)って、ストレスを減(へ)らす方法を考えることであろうか。
足の裏
人間の手は色々なことをするが、足の方はあまり働かない。歩くことと走ることのほかはたいした仕事をしない。特に足の裏は、何も重要な働きはしないように見える。ところが、足の裏の働きについて実験した結果、面白いことがわかったそうだ。
十二人の若い男女を二つの組に分ける。一定の時間、いっぽうの組の人たちは、裸足になって竹を踏み続ける。もういっぽうの組みは、高い椅子に腰掛けて何もしないでいる。椅子が高いので足はゆかにつかないから、足の裏には何の刺激もない。
そのあと両方の組が同じゲームをする。テレビの画面に色の名前を表す漢字が出るが、その漢字の表す色と漢字そのものの色は違っている。例えば、白い線で書いた「青」という字が出る。それを見て、いろいで「青」の札を探して高く上げる。何回も続けると、疲れて間違いが多くなるが、二つの組みのうち、竹を踏んだ人の方が成績がよくなることがわかったのである。
むかしのある有名な人は、子どものころ家が貧乏で、一日中働いていたので、勉強する暇がなかった。そこで、背中に薪を背負って歩きながら、本を読んだそうである。目のためには悪かったかもしれないが、頭の働きのためには、良い勉強法だったわけである。
英文信件结尾的方式
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